人生は長い道のり、歩みながら大切に
学校を出て、本当の意味で生活と向き合うようになった。これまでどんなに変わろうとしても、結局は教室に戻って興味のない授業を聞く日々だった。でも今回は違う。自分が梁に吊るされていて、誰かが刀を振り下ろして紐を切る。一瞬の白い光が走り、私は底知れぬ闇に落ちていく。未知の世界に怖気づくこともなく、下には池があるかもしれないし、柔らかい落ち葉が積もっているかもしれない。あるいは地球を突き抜けて、別の青空の下に落ちるかもしれない。だから、バンジージャンプみたいに「ああっ」と叫んで落ちていくのも面倒で、無重力の感覚すら味わうのを忘れてしまった。
働き始めて三ヶ月。最初はちょっと疲れた。わからないことだらけで、何もかもGoogleに頼っていた。でも、わからないことが一つずつ解決していくうちに、悩みも薄れていき、朝九時から夕方六時までの生活リズムにも慣れてきた。うちは小さな会社だから、八時四十分に家を出ても間に合う。遅刻は日常茶飯事で、最近は毎日ハーフパンツにサンダル履きで出勤している。これこそが人生だよな、って思う。
でも人間の怠け心は根深いもので、一度環境に慣れると、なかなか動きたくなくなる。私は安定した仕事に対して常に警戒心を持っている。一本の木にぶら下がって、森全体を失うのが怖いんだ。先日『浮沉』を見ていたら、運転手の若い兄ちゃんが王貴林に、なぜみんな上海に行きたがるのか説明していた。「江州にいると、二十歳で八十歳の姿が見える」ってね。同じようなことを私も言ったことがある。クラスメートの一人が金川県で公務員になった時、私は彼に「君の未来数十年はもう見えたよ」と言った。五、六十歳になったら成都に家を買って定住するだろう、と賭けたんだ。なぜなら、チベット地区の公務員はだいたいそうだから。昇進しなければ、半生働いた後、人脈のほとんどない街で静かに老後を過ごして死んでいく。
私はかつて娟に誓って言った。「絶対に公務員試験なんか受けるなよ。一度その世界に入れば、海のように深いから」って。でも最近、彼女がまた公務員を目指したいと言い出した。今はもう説得はしない。むしろ応援している。誰もが波乱万丈の人生を好むわけじゃない。年月は流れ、大事なのは心の持ちようだ。でも、私はやっぱり行かない。五年後の自分すら見たくない。そう思うと、のび太が引き出しに入って大人になった自分を見るのは、ちょっと気の毒だ。そんな人生、何のために頑張るのか。
昨夜、雷哥と酒を飲んだ。彼は言っていた。「どこにいても、五年住んだらその場所で家を買うつもりだ。だから、五年以内に頭金を用意したい」と。私は直接言えなかったけど、彼は経済を甘く見すぎているし、生活を面白く考えすぎていると思う。もし私なら、十年はそんなこと考えない。むしろ、いろんな景色を見に連れて行ってくれる車を買いたい。先日、父が家を買う話をしてきた。「もうそんな年齢なんだから、考えなきゃ」って。労働者階級の身としては、全財産をはたいて、何年もの自由を失うのが怖い。まだ自分の思い通りに生きていないのに。だから「ゆっくりでいいよ、急がない」と伝えた。帰ったら、彼らがどんな決断を下すかわからない。
私には自分の考えがある。とにかく、長く農村出身の出稼ぎ労働者でいるつもりはないし、今すぐ都会に根を下ろす気もない。帰ったら父にそのことをはっきり伝えるつもりだ。